長野地方裁判所 平成2年(行ウ)3号 判決 1999年6月18日
長野県塩尻市大字洗馬二一五八番地
原告
波多野秀一
右訴訟代理人弁護士
毛利正道
同
菊池一二
同
松村文夫
長野県松本市城西二丁目一番二〇号
被告
松本税務署長 岡部道雄
東京都千代田区霞ヶ関一丁目一番一号
被告
国
右代表者法務大臣
陣内孝雄
被告両名指定代理人
木暮輝信
同
岩田光生
同
須藤哲右
同
服部重雄
同
塚田良治
同
降籏元
同
筒井清治
同
浦野勉
主文
一 原告の被告松本税務署長に対する訴えのうち次の1及び2の各請求に係る部分を却下する。
1 原告の昭和六〇年分の所得税に係る更正の取消しを求める請求のうち総所得金額二一八万六二四二円(納付すべき税額四万二二〇〇円)を超えない部分の取消しを求める部分
2 原告の昭和六一年分の所得税に係る更正の取消しを求める請求のうち総所得金額二二六万六〇六三円(納付すべき税額〇円)を超えない部分の取消しを求める部分
二 原告の被告松本税務署長に対するその余の請求及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告松本税務署長(以下「被告税務署長」という。)が昭和六三年二月八日付けでした原告の昭和六〇年分及び昭和六一年分の所得税に係る各更正(以下「本件各更正」という。)及び昭和六〇年分の過少申告加算税賦課決定(以下「本件賦課決定」といい、本件各更正と合わせて「本件各課税処分」という。)をいずれも取り消す。
二 被告国は、原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和六三年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要等
一 本件事案の要旨及び争点
本件は、農業を営む原告が、昭和六〇年分及び昭和六一年分(以下「本件係争年分」という。)の所得税について確定申告をしたところ、被告税務署長において税務調査の上、推計の方法によって農業に係る事業所得(以下「農業所得」という。)を算出し、本件各課税処分をしたことから、右の税務調査及び課税手続は違法であり、推計の必要性も合理性もないなどと主張して、被告税務署長に対し本件各課税処分の取消しを求めるとともに、違法な税務調査及びこれに基づく本件各課税処分によって精神的苦痛を受け、本訴の提起に伴い弁護士費用の負担を余儀なくされたと主張して、被告国に対し国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求する事案である。
これに対し、被告税務署長は、処分取消しの訴えのうち原告の確定申告額を超えない部分については訴えの利益を欠くので不適法である旨主張して訴えの一部却下を申し立てるとともに、本件各課税処分については推計の必要性及び合理性が存するので適法である旨主張して請求の棄却を求め、また、被告国は、税務調査及び課税の手続に違法な点はないと主張して請求の棄却を求める。
したがって、本件の争点は、右訴訟要件の存否、税務調査の違法性、推計の必要性及び合理性である。
二 判断の前提となる事実等
(証拠を掲記した事項のほかは当事者間に争いがない。)
1 当事者等
原告は、野菜栽培を主とする農業を営む事業所得者(以下「農業所得者」という。)であり、被告税務署長に対し、本件係争年分の所得税について、いわゆる白色申告の方式により総所得金額等を記載した確定申告書を提出した。
被告税務署長は、原告の所得税について税務調査の上、後記の農業所得標準を用いた推計の方法により原告の農業所得金額を算出して、本件各課税処分をした。
なお、被告税務署長並びに本件の税務調査を担当した同被告所部職員の島嵜昭一統括国税調査官(以下「島嵜統括官」という。)及び掛川有一国務調査官(以下「掛川係官」という。)は、いずれも被告国の公権力の行使に当たる公務員である。
2 本件各課税処分に係る経緯
原告の本件係争年分の各所得税の確定申告、本件各課税処分及び不服申立ての経緯は、別表(一)及び(二)記載のとおりである。
3 農業所得標準の概要
本件において被告税務署長は、原告の農業所得を算出するために、松本地区税務協議会(以下「松本地区協議会」という。)が作成した昭和六〇年分及び昭和六一年分の農業所得標準(以下、右各年分のものを「本件標準」という。)を用いているが、その概要は次のとおりである。
(一) 農業所得標準の意義及び作成機関
農業所得標準は、申告納税制度の下において、農業所得の金額を収支実額計算の方法で算出することができない納税者が確定申告等をするに際して農業所得の金額を算出するための基準として用いるため、各市町村又は各税務署管内の市町村によって組織された農業所得標準協議会若しくは税務協議会等の機関が毎年作成し、これを公開している。課税庁は、実務上、農業所得標準によって所得金額を算出して申告した納税者に対しては、所得金額算定の基礎となる面積又は金額等(以下「課税基本」という。)に誤りがなければ更正しない取扱いをしている。
本件標準を作成した松本地区協議会は、昭和三七年八月に松本税務署管内の全市町村をもって組織され、同税務署長及び長野県松本地方事務所長を顧問として設立された団体であり、これに関連する団体として、右同様に長野県下の他の各税務署に対応してそれぞれの地区税務協議会(以下「地区協議会」という。)が組織されているほか、これらの地区協議会間の調整を図るため、同年九月、長野県、同県市長会、同県町村会及び各地区協議会を代表する委員をもって組織され、長野税務署長を顧問として設立された長野県農業所得標準調査協議会連合会(以下「「県協議会」という。)がある。
(二) 農業所得標準の仕組み及び所得金額の算定方法
(1) 基本的な考え方
ア 農業所得標準による農業所得の金額の算定は、個々の農産物ごとに当該農産物に係る所得算定方式を定めた所得標準を適用して求めた算出所得金額(複数の農産物がある場合はそれぞれの所得標準により算出した金額の合計額である場合もある。)から標準外経費の金額を控除する方法により行われる。その基本的な算式は次のとおりである。
・農業所得の金額=算出所得金額―標準外経費
イ 算出所得金額を計算する段階においても、収入金額から必要経費が控除されるが、このような経費は標準内経費と呼ばれる。そこで、算出所得金額は、収入金額から標準内経費を控除することによって求められるから、前記(1)の算式は、次の算式に置き換えることができる。
・農業所得の金額=(総収入金額―標準内経費)―標準外経費
=総収入金額―(標準内経費+標準外経費)
(2) 算出所得金額の計算(標準内経費の控除)方法
算出所得金額の算定方式は、課税基本の種類によって、面積課税方式、頭羽数課税方式、収穫量課税方式及び収入金課税方式に分類されるが、そのうち本件で問題とされる算定方式の概要は次のとおりである。なお、個人差及び地域差が著しい補償金、助成金、事業分量分配金(利用高配当金)等については、各方式によって算出した金額に右補償金等を別途実額で加算して算出所得金額を計算することとされている。
ア 面積課税方式
農産物の作付面積を課税基本とするもので、当該農産物の単位面積当たりの所得金額を定め、これに当該農業所得者の作付面積を乗じて算出所得金額を算定する。本件標準を適用して面積課税方式により算出所得金額を算定する場合の算式は次のとおりである。
・算出所得金額=作付面積×一〇アール当たりの算出所得金額
=作付面積×(一〇アール当たりの収入金額―同面積当たりの標準内経費)
本件標準では、水稲、普通畑、総合野菜畑等に右方式を採用しており、このうち水稲及び普通畑については、更に、農地の地力の違いに応じた区分(以下「等級区分」という。)を設け、各等階級区分ごとに所得金額の異なる所得標準を適用することとされている。
イ 収入金課税方式
農産物によって得られた収入金額を課税基本とするもので、農産物ごとに所得率を定め、これに当該農業所得者の収入金額を乗じて(対象農産物によっては右金額から更に一定経費の金額を控除して)算出所得金額を算定する。本件標準を適用して収入金課税方式により算出所得金額を算定する場合の基本算式は、次のとおりである。
・算出所得金額=(収入金額―出荷経費)×仮定所得率-一定経費
右算式中の仮定所得率は、次の算式により求められる。
・仮定所得率=一―比例経費率
=一―〔比例経費÷(収入金額―出荷経費)〕
これを前式の仮定所得率に代入すると、次の算式が導かれる。
・算出所得金額=(収入金額―出荷経費)―(比例経費+一定経費)
従来は、面積課税方式ないし収穫量課税方式が農産物の算出所得金額算定方式の主流として広く採用されていたが、近年では、収入金課税方式への移行が進められており、本件標準においてもレタス等に収入金課税方式を採用している。
(3) 標準外経費
本件標準においては、所得標準を適用して算出した算出所得金額から別途控除すべき標準外経費として、特殊大農具等の費用、顧人費(昭和六〇年分のみ)、特定の委託費用(昭和六一年分は雇人費と合わせ「委託等の費用」)、土地改良費(昭和六一年分は「土地改良等の費用」)等の数種目が列挙されている。
ア 特殊大農具等の費用
特殊大農具等に係る費用のうち、標準内経費である大農具費の算定の基礎となった<1>耕うん整地用機具、<2>穀類収穫調整用機具及び<3>田植用機具(以下「耕うん機等」という。)に係る費用については、当該大農具費に算入されない部分の費用を標準外経費として控除することとされているほか、本件標準別表の特殊大農具等の控除基準に掲記された特殊大農具等に係る費用については、同表掲記の金額及び方法により計算した金額を標準外経費として控除することとされている。
イ 雇人費ないし委託等の費用
雇人費その他の委託等の費用については、標準内経費に算入された大農具費の金額を超える部分の金額を標準外経費として控除することとされている。
(以上につき、乙第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第五号証、第七号証、第一九ないし第二一号証、第二三号証、第二六号証、第二七号証の一ないし三、第二八ないし第三六号証、第三八号証、第四〇ないし第四二号証、第四七号証の一、二、第四九号証の一ないし三、弁論の全趣旨)
三 本件各課税処分の課税根拠に関する被告税務署長の主張
(その基礎となる数値等についての原告の認否を含む。)
1 本件係争年分の所得金額及びその算出根拠
原告の本件係争年分の所得はいずれも農業所得によるものであり、被告税務署長が本訴において主張する金額及びその算出根拠は次のとおりである。
(原告は、被告税務署長の右主張に対し、別表(十五)及び(十六)記載のもの及びこれに基づき算出される金額のみ争い、その余は争わない。)
(一) 農業所得の算出根拠
(1) 算出所得金額
算出所得金額は、標準外経費の額及び事業専従者控除額を控除する前の農業所得に係る金額であり、次のアないしウの合計額である。
ア 普通畑等
本件標準を適用し、面積課税方式により別表(五)記載のとおり原告の普通畑等(普通畑、総合野菜畑及び短根人参(ただし、昭和六〇年分のみ)を総称していう。)の各作付面積(単位アール・小数点以下第二位の端数を切捨て)を一〇で除した数値に一〇アール当たりの各所得金額を乗じて算出した金額である。
(原告の本件係争年分の普通畑等の各作付面積及びその一〇アール当たりの所得金額が別表(五)記載のとおりであることについては当事者間に争いがない。)
イ レタス等
本件標準を適用し、収入金課税方式により別表(六)記載のとおり原告のレタス等(レタス、白菜、キャベツ、パセリ及び短根人参(ただし、昭和六一年分のみ)を総称していう。以下同じ。)の各収入金額(販売金額及び野菜価格差補給金(野菜の価格が一定水準を下回った場合、生産農家の経営安定のため、野菜生産出荷安定法に基づき生産者団体の負担金並びに国及び県の補助金を原資として生産農家に交付されるもの。以下「補給金」という。)の合計額)から、これに同業者の平均的な出荷経費率を乗じて求めた出荷経費(農産物を収穫してから販売するまでの間の包装費、運賃、手数料及び出荷伝票等の費用)の額を控除し、次に本件標準所定の仮定所得率を乗じて比例経費(種苗費、肥料費及び農薬費等の農産物の生産に伴う費用)の額を控除し、更に右金額から、本件標準所定の一〇アール当たりの一定経費(固定資産税等農地保有に伴う費用並びに肥料費及び農機具等の地力維持のために最小限必要とされる費用等)の額に作付面積(単位アール)を一〇で除した数値を乗じた額を控除して算出した金額である。なお、昭和六一年分の短根人参の収入金額は、補給金のみであり、作付けはない。
(原告の本件係争年分の白菜春の収入金額及び各作物の作付面積がそれぞれ別表(六)記載のとおりであること、昭和六一年分の短根人参の作付けがないことは当事者間に争いがない。)
ウ 利用高配当金
利用高配当金とは、法人税法二条七号に規定する協同組合等の組合員が、その取り扱った物の数量、価額その他協同組合等を利用した分量に応じて当該協同組合等から受ける分配金であって、本件においては原告の塩尻市洗馬農業協同組合(以下「洗馬農協」という。)の利用高に応ずる割戻金であり、農業所得に係る収入に算入すべきものであるところ、その金額は別表(三)及び(四)記載のとおりである。
(原告の各年分の利用高配当金による収入金額が右のとおりであることについては当事者間に争いがない。)
(2) 標準外経費の額
次のアないしウの合計額である。
ア 特殊大農具等の費用
特殊大農具等とは、農業の用に供する機械器具、車両、運搬具及び整備(以下「農業用機具等」という。)のうち、一台又は一組の取得価格がおおむね二〇万円以上で、かつ、普及率がおおむね六〇パーセント未満のものをいう。本件における特殊大農具等の費用は、別表(七)及び(八)記載のとおり、原告の特殊大農具等の所有状況を基に、本件標準所定の特殊大農具等の控除基準をそれぞれ適用して算出した金額である。
(原告が右各別表記載の農業用機具等を所有していたこと並びにこれらの所得時期が右各別表記載のとおりであることについては原告は明らかに争うことをしない。)
イ 土地改良費ないし土地改良等の費用
土地改良費ないし土地改良等の費用とは、土地改良法所定の土地改良事業のために支出する受益者負担金をいい、右負担金のうち、土地改良施設の敷地等に係る土地取得費及び農用地の整地・造成に要した金額等の永久資産取得費対応部分は当該永久資産の取得価額を構成するため(所得税法三八条一項)必要経費に算入されないが、減価償却資産及び公道その他一般の用に供される道水路等の取得費対応部分は繰延資産に該当し(同法二条一項二〇号)、その償却費及び毎年の維持管理費に相当する額が必要経費に算入される。別表(七)及び(八)記載の金額は、原告が塩尻市奈良井川土地改良区及び長野県中信平右岸土地改良区に支払った金額を基に算出した金額である。
(原告が昭和六一年分に右土地改良区に支払った金額が右各別表記載のとおりであることについては当事者間に争いがない。)
ウ 特定借入金の利子
特定借入金利子とは、農業近代化資金等の制度金融及び当該制度金融に準ずる借入金(農協が定めた生産資金、運転資金等の要綱金融をいう。)で、その使途が農業用固定資産、農業用生産資材の購入等に特定され、かつ、借入金の事実及びその使途が確認できるものをいう。本件においてこれに該当するのは、別表(八)記載の金額であり、洗馬農協が証明する農業近代化資金等の支払利息である。
エ 支払小作料
別表(七)記載のとおり、原告が昭和六〇年中に太田道徳(一万円)及び高橋増蔵(四万円)に支払った小作料の合計金額である。
(当事者間に争いがない。)
(3) 事業専従者控除額
昭和六〇年分については原告の妻及び父、昭和六一年分については妻に係る所得税法五七条三項(昭和六二年法律第九六号による改正前のもの)に規定する事業専従者控除額であり、昭和六〇年分が九〇万円、昭和六一年分が四五万円である。
(原告の確定申告における控除金額と同額であり。当事者間に争いがない。)
(二) 原告の農業所得金額
原告の本件係争年分の農業所得の金額は、別表(三)及び(四)記載のとおり、昭和六〇年分が四四〇万一五一九円、昭和六一年分が二七三万〇八四五円であり、いずれも前記の算出所得金額から標準外経費の額及び事業専従者控除額を控除した金額である。
2 本件各更正の適法性
本件各更正に係る原告の総所得金額は、別表(一)及び(二)記載のとおり、昭和六〇年分が四一四万八七五〇円、昭和六一年分が二三八万二七五九円であり、いずれも前記1(二)記載の所得金額の範囲内であるから、本件各更正はいずれも適法である。
3 本件各賦課決定の適法性
被告税務署長は、国税通則法六五条一項(昭和六二年法律第九六号による改正前のもの。以下同じ。)の規定に基づき、昭和六〇年分について本件の更正により新たに納付すべき税額二六万円(同法一一八条三項の規定により一万円未満の端数を切り捨てたもの。以下同じ。)に一〇〇分の五の割合を乗じて計算した金額である一万三〇〇〇円の過少申告加算税を賦課決定したものであるから、右賦課決定は適法である。
四 争点に関する当事者双方の主張の要旨
1 被告税務署長の本案前の申立て
原告は別表(一)及び(二)記載のとおり、昭和六〇年分の所得税については、総所得金額二一八万六二四二円(納付すべき税額四万二二〇〇円)とする確定申告書を、また昭和六一年分の所得税については、総所得金額二二六万六〇六三円(納付すべき税額〇円)とする確定申告書をそれぞれ被告税務署長に提出しており、右各申告により本件係争年分の納税義務は確定している。したがって、本件各更正のうち右確定申告額を超えない部分についてはもはや争い得ないから、本件訴えのうち右各部分の取消しを求める部分は訴えの利益を欠くものとして却下されるべきである。
2 税務調査・課税手続の適法性
(一) 原告の主張
本件各課税処分に至る税務調査及び課税手続には次の(1)ないし(7)のとおりの違法事由があり、全体として高度の違法性を帯びるので、本件各課税処分は取り消されるべきである。
(1) 被告税務署長は、原告を含む洗馬地区の約五五〇名の農業所得者に対し、申告の誤りがあると断定していたわけではないのに、多くの農家の出頭を確保するために「昭和六〇年分の農業所得について検討したところその収入金額等に誤りが見受けられ見直しをしていただく必要があると認められます。」との断定的な文面の昭和六一年八月二三日付け通知書(以下「本件通知書」という。)を一斉に送付し、同月二八日開催の業種別指導のための説明会への出頭を求めた。国税庁が昭和五一年四月一日に策定した税務運営方針(以下「税務運営方針」という。)には、いやしくも納税者から一方的であるという批判を受けることがないよう細心の注意を払わなければならない旨、納税者との接触に当たっては納税者に当局の考え方を的確に伝達し無用の心理的負担をかけないようにするため納税者に送付する文書の形式・文書等をできるだけ平易・親切なものとすべき旨が明記されており、同被告の右のような行為は、税務運営方針に違反する。そして島嵜統括官及びその指示を受けて原告に対する調査を担当した掛川係官は、昭和六二年六月一六日、原告を含む納税者らとの交渉の席上において、本件通知書の表現には何らの問題もない旨強弁して、同被告への不信感を増大させた。
(2) 被告税務署長は、前記(1)の出頭要求及び修正申告に応じなかった原告を含む納税者らに対し、これらの者が出頭の意思はないが臨宅調査には応ずる旨を明言していたのに、昭和六一年九月から翌六二年一月にかけて、葉書又は口頭による通知をもって、塩尻市市民会館への出頭を一回、松本税務署への出頭を三回求めた。このような行為は、納税者に対する来署依頼は納税者に経済的・心理的な負担をかけることになるのでみだりに行わないように留意すべき旨を明記した税務運営方針に違反するものである。
(3) 島嵜統括官は、昭和六二年六月一六日の原告らとの交渉の席上、前記(2)の来署依頼について追及された際、出頭要求は所得税法二三四条の質問検査権の行使であり、納税者に右要求に応じる義務があるから、不出頭は同法二四二条の検査許否罪に当たる旨発言し、原告を脅迫した。
(4) 被告税務署長は、洗馬農協が組合員の同意がない限り反面調査には応じられないと主張し、かつ、原告ほかの組合員らも同農協に対する反面調査をしないよう再三申し入れていたにもかかわらず、昭和六一年一一月及び昭和六二年八、九月ころ、同農協に対し、反面調査に応じなければ同農協自身を対象とする調査も辞さない旨圧力をかけ、強引に反面調査を行った。所得税法二三四条一項三号に掲げる者に対するいわゆる反面調査は、調査対象者本人の信用を毀損するおそれが大きいため、税務運営方針にも、反面調査は客観的にみてやむを得ないと認められる場合に限って行うべき旨が明記されている。このことからすれば、反面調査は、通常は本人に対する調査が正当な理由なく効を奏さない場合にのみ補充的に行い得るものであり、せいぜいこれに匹敵するような「客観的にみてやむを得ないと認められる場合」に限ってなし得るものと解すべきである。しかるに、本件における反面調査は、本人に対する税務調査を開始していない段階から始められており、右のような客観的にみてやむを得ないと認めるに足りるような事情が存在していないばかりでなく、反面調査を拒む同農協に対し強引にされたものであり、昭和六二年八、九月ころの反面調査も原告ほかの組合員らが誠実に臨宅調査を受ける姿勢を示している段階において一方的にされたものである。
(5) 被告税務署長は、正当な理由もないのに、原告を含む七名の塩尻農民組合員らに対してのみ、報復的意図ないし差別的意図をもって、当初は予定していなかった昭和六一年分についても調査の対象とし、更正処分をした。
(6) 掛川係官は、昭和六二年七月六日から同年八月二八日まで原告を含む七名に対する臨宅調査を実施したが、成田千寿子を除く六名については、同係官の面前に帳簿書類を差し出しているのにこれを全く調査せず、いずれも各一五分間程度で退去した。しかも、被告税務署長は、同係官が二巡目の調査を行う旨告知していたのに、直ちに反面調査等に基づいて更正処分をした。これは、正当な理由のない調査の打切りというべきである。なお、右の臨宅調査に際し、原告代理人弁護士毛利正道(以下「毛利弁護士」という。)がテープ録音を要求したのは、過去の訴訟において、担当係官の証言が採用され、納税者側の証言・供述が排斥されるという経験をしているため、テープ録音がなければ本件においても同様の事態となってしまうと考えたためであり、しかも、毛利弁護士は、再三再四、守秘義務を負う弁護士が訴訟において用いることのみを目的として記録用にテープ録音をすると告げ、質問が農業経営の内容にわたるときは録音を中断しているのであるから、このような録音要求を調査打切り理由とすることはできない。
(7) 被告税務署長は、次のアないしオのとおり、当然尽くすべき注意を怠って本件各課税処分をした。
ア 洗馬地区の原告のほか六名に対する更正処分において同被告が認定した各自の作物別の収入金額から単位作付面積(一〇アール)当たりの収入金額を算定すると、最大で二八倍もの開きが生じている。同一地区の同一作物についての単位面積当たりの収入金額は、特別の事情のない限り、ほぼ近似するはずであるから、右のような結果になることは通常あり得ないから、同被告は、同じ時期に入手していた各人の収入金額等を比較検討すれば、各更正処分が真実を反映しない誤ったものであることを直ちに把握できたはずであるのに、これを怠った。
イ 同業者の出荷経費率の把握の仕方が杜撰であり、本件訴訟で同被告が主張する昭和六一年分の出荷経費率は別表(十四)記載のとおり一四・二八パーセントであるのに対し、原処分時に認定された同年分の出荷経費率は一五・六パーセントであった。
ウ 特殊大農具等の費用についても杜撰な認定をしており、本件訴訟で同被告が主張する金額は、別表(七)及び(八)記載のとおり、昭和六〇年分の乗用車が三万〇三〇〇円、軽トラックが八万一四〇〇円、昭和六一年分の乗用車が三万〇四〇〇円、小型トラックが一〇万七三四〇円、軽トラックが八万一六〇〇円であるのに対し、原処分時に認定された金額は、昭和六〇年分の乗用車が六〇六〇円、軽トラックが六万四二〇〇円、昭和六一年分の乗用車が六〇八〇円、小型トラックが八万六一四二円、軽トラックが六万四四〇〇円であった。
エ 本件標準による推計は、作付面積と標準外経費という納税者本人でなければ分からない値、すなわち、第三者に対する反面調査では真実が把握できない値を用いるという特徴があり、しかも、同被告は、業種別指導の実情からみて、作付調査や農業所得者台帳が正確であるとの心証をもてなかったはずであるから、少なくとも原告に対し作付面積と標準外経費の明細を文書で問い合わせる程度のことをすべきであったのに、これを怠った。
オ 原処分担当者であった掛川係官は、荷受年月日の直後に補給金の補償単価が農協に判明することや果樹共済金の扱いに関する通達を知っていたにもかかわらず、その取扱いを誤ったまま本件各更正に及んだ。
(二) 被告税務署長の主張
(1) 洗馬地区では、前年に比べて野菜の出荷金額が著しく高騰していたにもかかわらず、同地区の農業所得者の昭和六〇年分の申告が低調であったことから、被告税務署長が同地区の野菜栽培農家二十数名に対して所得税調査を実施したところ、そのすべての者について収入金額が過少に申告されていることが判明した。そこで、同地区の農業所得者の申告内容を個別に検討した結果、同地区の野菜栽培農家約五五〇戸に収入金額等の誤りがある蓋然性が存すると判断されたため、これらの農家を対象に業種別指導を行うこととし、集合説明会への出席を求める文書を送付した。同被告は、このような事情の下で原告の指摘するような文言を本件通知書に記載したのであり、これが適切さを欠くとはいえない。
(2) 塩尻市市民会館への出頭要求は、農業所得金額の自主的な見直しを促すための行政指導として開催した個別説明会への出席を求めたものであるところ、これを実施するについては右のとおり十分な根拠があるから適法であり、その開催に当たり原告に対して案内のための文書を送付したことも適法である。また松本税務署へ出頭要求したのは、右と同様に農業所得金額の誤りがあるか否かを確認し、誤りがある場合には自主的な見直しを促すべく面接を求めるためであるから、何ら違法ではない。
(3) 島嵜統括官の発言は、毛利弁護士の質問に対する回答としてされたものであって、その内容も、質問検査権に基づく検査を拒否した場合には検査拒否になる場合も考えられるとの趣旨であり、原告に対し、出頭要求に応じないことが直ち検査拒否罪になると発言したことはない。また、右のような回答をしたことが原告を根拠なく脅迫したことにはならない。
(4) 被告税務署長が原告の取引先である洗馬農協を調査したのは、原告の協力を得て所得税の調査を行うことは困難であると判断したためである。なお、昭和六一年一一月ころ同農協を調査したのは、取引資料の収集等について、同農協の帳簿システム等を確認し、協力を要請するためであった。所得税法二三四条一項の規定は、税務署等の調査権限を有する職員において、当該調査の目的、調査すべき事項、申請・申告の体裁内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、客観的な必要性があると判断される場合に、職権調査の一方法として、同条一項各号規定の者に対し質問し、又はその事業に関する帳簿、書類その他当該調査事項に関連性を有する物件の検査を行う権限を認めた趣旨であって、この場合の質問検査の範囲、程度、時期、場所等実定法上特段の定めのない実施の細目については、右にいう質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解すべきところ、本件においては同条一項三号に該当する原告の取引先である洗馬農協に対し質問検査を行う必要性があったというべきである。
(5) 被告税務署長が掛川係官に原告の昭和六一年分所得税の調査を命じたのは昭和六二年四月ころであり、これは、原告の同年分の確定申告書について検討したところ、昭和六〇年分と同様、所得金額を確認する必要があると認められたためである。
(6) 掛川係官が原告に対する第二回目の臨場調査を実施しなかったのは、同係官が昭和六二年八月二八日の調査において、原告及び毛利弁護士に対し、調査に関係のない第三者の立会いを排除するとともに、テープレコーダーによる録音を止めるよう再三にわたり要請したにもかかわらず、原告は右要請を拒否し、更に、島嵜統括官の後任者である臼井茂統括国税調査官(以下「臼井統括官」という。)が毛利弁護士に対して右と同様の要請をしたにもかかわらず、同弁護士がこれを拒否したことから、原告の協力を得て所得税の調査を行うことは困難であると判断したためである。
(7) 被告税務署長は、原告が終始調査に非協力的で、帳簿書類等に基づいてその農業所得等の内容を確認することができなかったため、やむを得ず本件標準により同被告が入手可能な客観的資料に基づいて本件各更正をしたのであるから、原告が更正処分の違法性として主張する諸点はすべて理由がない。
3 推計の必要性
(一) 被告税務署長の主張
原告の業種別指導及び臨場調査等における対応は終始非協力的であり、特に、昭和六二年七月三一日の臨場調査においては、調査に関係のない第三者の立会い及びテープレコーダーによる録音に拘泥するなどして、最後まで税務調査に応じなかった。また、毛利弁護士に税務代理を委任していた他の納税者らの税務調査においても、原告に対する調査と同様、第三者の立会い及びテープレコーダーによる録音がが行われる状況にあった。そこで、掛川係官は、守秘義務を全うするという配慮に基づいて、第三者の立会いを拒み、テープレコーダーによる録音を止めるよう原告及び毛利弁護士に対し再三にわたり要請したものであり、原告がこれに従わなかったことは正当な理由なく調査を拒否したものというべきである。
また、原告は、本件係争年当時、継続的に日々記帳する帳簿をつけていなかった上、実際の収入の八〇パーセント程度しか記載にとどめておらず、しかも、売上に関する洗馬農協の販売代金精算明細書を全部揃えてあるか否か不明であり、経費についても正確に把握しておらず、結局農業所得の金額を算定するに足りる資料は存在していなかった。
被告税務署長は、右のような事情の下で、原告の帳簿書類等に基づいてその農業所得等の内容を確認することができなかったため、やむを得ず、原告の取引等から収集した資料を基に所得税法一五六条の規定に基づき推計により原告の農業所得金額を算出して、本件各更正を行ったものである。
(二) 原告の主張
前記のとおり、被告税務署長は、正当な理由もなく原告に対する調査を打ち切ったのであるから、本件において推計の必要性があったとすることはできない。なお、推計の必要性は原処分当時存在することを要するのであるから、訴訟になってから帳簿書類が不備であったことが判明したことをもつて、必要性の要件が満たされたということはできない。
4 推計の合理性
(一) 被告税務署長の主張
(1) 本件標準の推計基準としての合理性
ア 本件標準の作成過程及び内容全般について
本件標準は、松本地区協議会を組織する松本税務署管内の各市町村による農家に対する各種調査(基準実額調査、作付状況調査及び収穫高調査等)、農業協同組合等からの資料及び情報の収集、農業団体からの意見聴取、その他の統計数値等、種々の資料を基にして原案が作成され、県協議会における地域間の調整及び農業団体に対する内示等を経て、最終的に確定されたものである。
また、本件標準による農業所得金額の算定方法は、比率法(仕入金額・売上金額・収入金額等、所得金額の算定の要素となる金額に一定の比率を適用して所得金額を計算する方法であり、収入金課税方式の仮定所得金額を求める部分に用いている。)及び効率法(納税者の電力使用量・従業員数・販売個数等に、比準同業者の調査から得られたこれらの指標一単位当たりの所得金額の平均値を乗じて所得金額を推計する方法であり、収入金課税方式の一定経費の額を求める部分及び面積課税方式の算出所得金額を求める部分並びに標準外経費の控除基準に用いている。)を併用し、かつ、実額の要素(標準外経費の実額による控除に用いている。)を加味した方法であり、このように多様な推計方法を組み合わせて作られているのは、農業所得標準の歴史的経過を踏まえ、より農家の実態に即した所得金額の計算方法を模索した結果である。
そして、松本税務署管内の大半の農業所得者(青色申告者を除く。)は、本件標準によって農業所得の金額を計算して所得税や住民税の申告をしているのであって、このことに照らしても、本件標準によって計算された所得金額は農家の実態を反映したものであるといえる。
イ 収入金課税方式における標準内経費の区分について
収入金課税方式において、収入金額から出荷経費を控除するのは、本件標準中の同方式に係る標準がいわゆる庭先価格を前提に作成されているため、右標準を適用するには市場等への実際の販売価格である収入金額から出荷経費を控除した金額をまず算出する必要があるからであり、右の出荷経費を控除した金額が本件標準にいう収入金額に当たる。
また、標準内経費を比例経費と一定経費に区分するのは、農家が農産物を生産するために支出する経費を収入金額に比例する比例経費と作付面積等に比例する一定経費に区分して標準内経費を計算するようにした方がより農家の実態に即した所得金額を計算することができるという考え方によるものである。ところが、経費の費目によっては、農地の固定資産税のように明らかに一定経費の性質を有するものも存するが、他方、農薬費や肥料費等のように比例経費と一定経費の双方の性質を有するものもあり、単純に費目によって両者を区分することができないため、各農家において現実に支出した経費を一定経費と比例経費に分類して調査することは困難である。そこで、特定の農産物について、県内で初めて収入金課税方式に移行する場合に、県内の各地区協議会が行った基準実額調査事績に基づき、最小二乗法という統計的手法によってこれを区分している。すなわち、収入金額(X)と必要経費(y)との間には、必要経費(y)=収入金額(X)×比例経費率(b)+一定経費(c)という関係が成立し、所得金額(Y)=収入金額(X)―必要経費(y)であるから、仮定所得率(a)=一―比例経費率(b)とすると、右の収入金額(X)と必要経費(y)との間の関係式は、収入金額(X)と所得金額(Y)との間の関係式として、所得金額(Y)=収入金額(X)×仮定所得率(a)―一定経費(c)と表すことができる。そして、前記の基準実額調査事績により得られた統計的標本における経費と収入の実測値から、適切な一定経費と比例経費率を求めるためには、各標本における実測値との誤差の二乗の総和が最小となる一定経費と比例経費率を算出する最小二乗法が最も合理的である。なお、このような方式によって求めた仮定所得率や一定経費の額がそのまま農業所得標準として確定されるわけでなく、県協議会や地区協議会において、他の農産物の所得標準との権衡を図り、農業団体からの意見等を踏まえて更に検討を加えるなどして、最終的に確定されることになる。
ウ 総合野菜畑について
農業所得標準の作成に当たっていかなる農産物にいかなる算定方法を適用するかは各地区協議会の決定に委ねられており、松本地区協議会においては、地域の実情、所得標準作成に要する事務量等を考慮し、普通野菜畑の所得標準の対象となるもの以外のホウレンソウ、ナス、サヤインゲン、スイートコーン、ネギ、大根、こぼう、里芋、かぶ、カリフラワー及びブロツコリー等の収益性の高い三〇ないし五〇種類の作物を一括して総合野菜畑の所得標準の対象となる作物としたものであり、本件標準の作成に際しては、これらの作物の回転率及び単価の加重平均を出し、その平均的な単価によって所得標準を作成したものであるから、合理的に作成されたものというべきである。
エ 標準外経費について
本件標準に標準外経費として列挙されている特殊大農具等の費用、雇人費及び土地改良費等は、標準内経費と異なり、農家間において支出の有無及び金額の多寡等について個別差が著しいものの、実額を把握することが比較的容易な経費であることから、原則としてその実額を別途控除することとしている。
このうち、特集大農具等の費用については、本件標準によれば、基準実額調査等によって把握された一般的な農家の農業用機具等に係る費用が、その内容に応じて、自動車税等の税金は公租公課に、減価償却費は償却費に、修繕費は農具費に、燃料費その他の費用はその他費に(ただし、耕うん機等に係る動力燃料費・修繕費等の費用は大農具費に)それぞれ区分されて標準内経費に算入されるよう作成されているが、農家間の個別差の著しい農業用自動車及び耕うん機等に係る費用の一部については、標準内経費と標準外経費との二重控除の防止に配慮しつつ、標準外経費として別途控除することとされている。
オ 総括
以上のとおり、本件標準は、その内容及び作成過程に照らして推計の基準としての合理性を有するものであり、また、一般に公開されているものであるから、これを適用するについて被告税務署長の恣意が介在する余地もない。そして、本件標準に基づいて原告の農業所得の金額を推計することが合理的でないと認められる特殊事情も存しないのであるから、本件標準により原告の農業所得金額を推計することは合理的である。
(2) 本件標準適用の前提となる数値の合理性
ア 作付面積(別表(五)の<1>欄及び別表(六)の<5>欄)について
原告が塩尻市に提出した本件係争年分の農作物作付調書(以下「作付調書」という。)に基づいて原告の各農作物の作付面積を別表(九)の一(昭和六〇年分)及び(一〇)の一(昭和六一年分)記載のとおり把握した上、右の別表記載の各農作物を別表(九)の二(昭和六〇年分)及び(一〇)の二(昭和六一年分)記載のとおり本件標準適用上の作物区分に整理し、右各別表の「本訴主張の作付面積」欄記載の面積を原告の作付面積とした(ただし、所得算定上原告に有利になるように、面積課税方式による普通畑等については小数点以下第二位の端数を切り捨て、収入金課税方式によるレタス等については右同様の端数を切り上げて計上した。)。
イ 収入金額(別表(六)の<1>欄)について
別表(二)(昭和六〇年分)及び(一二)(昭和六一年分)記載のとおり、洗馬農協の原告名義の普通貯金口座(以下「原告口座」という。)への振込入金額並びに洗馬農協において調査した右振込額の農作物ごとの内訳及び後記の補給金振込通知書に基づいて算定した額(右各別表の小計欄<1>+<2>の額)をレタス等の収入金額とした。
レタス、白菜及びキャベツの春物と秋物の区分については、洗馬農協において販売代金精算通知書から右農作物の出荷日を把握し、右出荷日が八月一日より前のものを春物、同日以降のものを秋物とした。
昭和六〇年分のレタス等の収入金額に加算すべき補給金の額は、原告口座に同年二月二七日に振り込まれた三八万七一六五円(六万八一九六円、一七万四三四七円及び一四万四六二二円の合計額)のうち三二万五八六九円であるが、これは洗馬農協から原告に交付された「五九年産野菜価格差補給金振込み通知書」記載の品種名及び荷受年月日によってニンジン・ホーレンソー・カリフラワー・キュウリ・サヤエンドウに係るものを除いた上、別表(二)の「<2>補給金」欄のとおり、レタス春・レタス秋・白菜秋・キャベツ春・キャベツ秋・パセリの収入金額に振り分けた。
昭和六一年分のレタス等の収入金額に加算すべき補給金の額は、原告口座に振り込まれた四二万七〇二八円(同年二月二七日の二九万二三二四円と同年一二月二七日の一三万四七〇四円の合計額)のうち四二万七〇二五円であり、これを洗馬農協から原告に交付された「六〇年産野菜価格差補給金振込み通知書」及び「六一年産野菜価格差補給金振込み通知書」記載の品種名及び荷受年月日によってホーレンソーに係る三円を除いた上、別表(一二)の「<2>補給金」欄のとおりレタス春・レタス秋・白菜秋・キャベツ秋・ニンジン(短根人参)の収入金額とした。
補給金は、その交付額が決定され補給金として原告口座に振り込まれるまではその内容が確定しないものであるから、これらの事実が発生した日の属する年分の収入金額になるというべきである。(所得税法三六条一項の権利確定主義)。
ウ 出荷経費率(別表(六)の<2>欄)について
出荷経費率は、原告の納税地を所轄する松本税務署管内洗馬地区において、原告と同様に野菜等の生産をする個人で、本件係争年分について次のⅰないしⅵのすべてに該当する者(以下「本件比準同業者」という。)の収入金額に占める出荷経費の割合の平均値を別表(一三)及び(一四)記載のとおり算出し、これに基づき、昭和六〇年分の出荷経費率を一〇・四七パーセント、昭和六一年分の出荷経費率を一四・二八パーセントとした。
ⅰ 対象年において専ら野菜の生産をする者
ⅱ 所得税青色決算書又は収支内訳書を提出している者
ⅲ 自家消費を除いた年間収入金額が原告の収入金額(別表(二)及び(一二)記載の総合計欄の額)の二分の一以上二倍以下の者
ⅳ 前記ⅱの所得税青色決算書又は収支内訳書中に出荷経費と認められる経費項目の記載のある者
ⅴ 災害等により経費状態が異常であると認められる者以外の者
ⅵ 税務署長から更正又は決定処分を受けている者にあっては国税通則法又は行政事件訴訟法の規定による不服申立期間の経過している者並びに当該処分に対する不服申立て中及び訴訟中でない者
エ 土地改良費ないし土地改良等の費用(別表(七)及び(八))について原告が各土地改良区に支払った金額のうち、塩尻市作成の農業所得者台帳に控除すべき経費として記載されている「土地改良」欄記載の額を土地改良費ないし土地改良等の費用の額とした。
オ 特定借入金の利子(別表(八))について
借入金の支払利息が標準外経費中の特定借入金利子として取り扱われるためには、借入金の使途が農業用の固定資産や農業用生産資材の購入等であることを確認できなければならないところ、原告の昭和六一年九月一六日付けの農業近代貸金の借入れに係る支払利息二万二五四九円がこれに該当する。
(二) 原告の主張
(1) 本件標準の推計基準としての合理性
ア 本件標準の作成過程及び内容全般について
松本税務署管内の約一五〇〇戸のレタス生産販売農家に適用される標準を作成するための基準実額調査対象農家は五、六戸にすぎず、しかも、対象農家は二、三年継続し、その中には帳簿を記帳していない農家も含まれているところ、このような少ない調査数では農家の実情を十分汲み上げることは不可能である。すなわち、昭和六〇年から六一年にかけて売上が四割も減少しており、これほど激変があり得る農業経営の実態を把握することは、右のようなサンプルの数と質では到底できない。また、修繕費・償却費・水利費・公租公課・研修費・雇人の賄い費・建物(農舎、機械倉庫、ハウス等)などは、農家によって著しい個性差が存し、調査対象農家が五、六戸程度ではその平均値が農家一五〇〇戸の平均値を示しているとする根拠がない。
また、被告税務署長は本件標準の合理性の根拠としてほとんどの農家が本件標準に従って納税していることをあげるが、収入金課税法式は昭和六〇年から導入されたのであり、それまでは所得税の申告納付義務が生じない農家が多かったため、税額の低い地方税の算定根拠としてのみ標準を用いていた可能性が高いから、課税処分における推計基準としての合理性の有無を判断するに当たって、右の点は根拠とならない。
イ 収入金課税方式における標準内経費の区分について
被告税務署長は、収入金額(X)と必要経費(y)との間には、必要経費(y)=収入金額(X)×比例経費(b)+一定経費(c)という関係が成立すると主張するが、右算式には合理性がない。すなわち、第一に、農業経営では比例経費をかけても収入が皆無又は極めて少ないということがままあるのに、右算式によると収入金額が零のときには必要経費は一定経費しかかからないことになってしまう。第二に、右算式では、bは完全に収入に比例する経費、cは全く収入増減と関係のない経費ということになるが、農業生産は、生産量が多くても収入が少なくなることもあるなど極めて特殊な分野であるため、完全に収入に連動する経費などあり得ないし、他方、全く、収入に連動しない経費も考えにくい。第三に、右算式では、総経費は収入から所得を差し引いて求めるため、要するに収入と所得という二つの数値からb・cの値を算出することになるところ、その収入と所得は毎年変化するから、そこから算出される一定経費(c)の値も毎年少なからず変化するはずであるのに、一定経費というのは全く収入と連動しない経費であるから、毎年収入と所得の変動に応じて変動することはあり得ず、ここに解消し得ない矛盾がある。第四に、本件標準におけるパセリの一定経費が、昭和六〇年分では一三万円であったのが、昭和六一年分では九万と一年間で約三〇パーセントも減少しており、本来大きく変動しないはずの一定経費がこのように大きく変動していること自体が、比例経費と一定経費の区分の根拠が不明確であることを示すものである。
しかも、佐久税務署管内の地区協議会(以下「佐久地区協議会」という。)では、所得標準の内示の際に農業団体から意見があつた場合は、それが比例経費に関するものであっても仮定所得率の値はなるべく動かさず、一定経費を調整する方法で対処するなどの取扱いがされており、佐久地区協議会に遅れて昭和六〇年から収入金課税方式に移行した松本地区協議会においては、最小二乗法による計算すら行われず、佐久地区協議会が作成した農業所得標準の数値を参考にするなどして本件標準の仮定所得率及び一定経費の値を決めていたのであるから、これらの値は合理的根拠に乏しいものである。
ウ 総合野菜畑について
本件標準において総合野菜畑の対象となる作物の中にはスイートコーンのような雑穀類に近い低収益作物とサヤインゲンのような高収益作物が混在しており、このような三〇ないし五〇もの品目を一括りにしても合理性はないし、これらの加重平均値を算出するとはどのような方法なのかも不明である。
エ 標準外経費について
本件標準によると、普及率六〇パーセント未満の機械は、特殊大農具等の標準外費用として、原価償却費が実額で控除できることになっているから、普及率が六〇パーセント以上か未満かの違いは大きいにもかかわらず、レタスマルチャー、ブームスプレイヤー、ソイルブロックマシーンなど、洗馬地区では普及率六〇パーセント以上でも松本税務署管内でみたときは六〇パーセントに達していない機械については、これが標準外経費になるのかならないのか、その区分が明らかでない。また、同じ作業に供する機械でも、安価なものと高額のものがあるときに普及率の判断をどうするかも不明である。
(2) 本件標準適用の前提となる数値の合理性について
ア 収入金額について
補給金は、各農家が農産物を販売した日の直後、すなわち販売した年のうちに各農家への入金額が客観的に確定しており、洗馬農協では決算期である二月に前年分をまとめて計算振込入金しているにすぎないのであるから、所得税法三六条一項の規定からいっても、販売した年分の収入金額とすべきである。また、同法四一条は、三六条の特則として、農産物については収穫したときにその価額相当額を収入金額に計上する旨定めているところ、農産物に関する収入としての性格を有する入金は右の収穫基準を可能な限り適用すべきであること、野菜農家の健全な発展を図るという補給金の趣旨からすると農業生産者に不当に高い納税をさせるような解釈はすべきでないこと(収入の少ない当年分の収入を補填するための補給金を収入の多い翌年分の収入金額に算入すると、これを当年分の収入金額に算入した場合よりも納付すべき税額が多くなるおそれがある。)、補給金と同様の趣旨と基本構造を有している農業災害補償法に基づく果樹共済金については通達により災害を受けた果樹の収穫期の属する年分の収入とすべきものとされていることなどに照らせば、補給金についても当該補給金に係る農産物を収穫した年の収入金額とすべきである。したがって、原告の補給金による収入金額は、昭和六〇年分については、別表(二)の補給金欄記載の金額(すべて昭和六〇年二月二七日入金)を減算する一方、別表(一二)の補給金襴記載の金額のうち昭和六一年二月二七日入金のものを加算し、昭和六一年分については右の昭和六一年二月二七日入金のものを減算する一方、同年収穫の農作物に係る補給金(乙第一二号証の末尾四枚において荷受年月日欄に星印が付されているもの)を加算すべきである。
ウ 集荷経費率について
本件比準同業者の中には、収支内訳書中の「荷造運賃手数料」欄の金額が零の者がかなりの数含まれており、被告税務署長の主張によると、これらの者については、収支内訳書中に「出荷資材」「ダンボール(D・B)代」等と記載された欄に記入された金額のみが出荷経費の額として把握されていることになるが、出荷経費とは、収穫時以降販売するまでにかかる費用のことであり、<1>ダンボール以外の包装資材、<2>出荷に要した車両に係る経費(償却費・修繕費・燃料代・保険車検費用など)、<3>出荷のために第三者を雇用したり第三者の車両を借りた場合にかかる雇人費・運賃などがすべて含まれるから、右のような者については、当然かかっているはずの右<1>ないし<3>の経費が全く考慮されていない。また、ダンボールなどの出荷資材に係る費用は、出荷経費の中でも比重が大きいが、農家の中には、これを収支内訳書中の「諸材料費」の項目の中に入れている者が少なくなく、本件比準同業者の中にもそのような者がかなり存在した可能性がある。したがって、別表(一三)及び(一四)記載の出荷経費率は、不当に低い値になっている。
エ その他の数値について
被告税務署長の主張に係る本件標準適用の前提となる数値については、別表(一五)及び(一六)記載のもののみ否認し、その余は認める。
5 原告の昭和六〇年分の実額による農業所得金額
(一) 原告の主張
原告の昭和六〇年分の農業所得に係る収入及び必要経費の実額は別表(一七)記載のとおりであり、これによれば、その農業所得金額は三三三万三六〇三円である。
個人の白色申告者は、大企業のように経理専門の事務員を雇うことも、中規模企業のように税理士に毎月一定額の支出をすることもできない実情にあり、このような会計帳簿に記帳したくてもできない零細納税者の厳しい実情をふまえるならば、訴訟において納税者側に厳しい立証を求めることは著しく酷であり、平均的納税者にとって立証可能な方途以上のものを原告に求めるべきではない。
(二) 被告税務署長の主張
納税者が、自己の所得金額を実額で主張し、課税庁の推計による所得金額は真実の所得金額と異なるとしてこれを争うためには、その主張する実額が真実の所得金額に合致することを合理的な疑いを入れない程度に立証する必要があり、そうした実額反証をするにおいては、単に収入又は必要経費の実額の一部を主張・立証するだけでは足りず、<1>その主張する収入及び経費の各金額が存在すること、<2>その収入金額がすべての取引先からの総収入金額であること、<3>その経費がその収入と対応するもの(必要経費)であること、以上の三点を証明しなければならない。しかるに、本件訴訟において、原告が実額反証に供するとして提出した資料は、収入・支出・残高が継続的に記録されているとはいえない家計簿と称する書類の写し及び洗馬農協の総合計画貯金通帳並びに経費に係る領収書・証明書・納品書等のみであり、原告の農業経営について継続的に記録された帳簿は提出されておらず、また、提出されているこれら資料にも多くの疑問点があるから、原告の実額反証は不完全である。さらに、原告の収入金額には当然算入されるべき自家消費分や補給金の一部等が含まれていないなど、内容も不合理である。
6 被告国の損害賠償責任
(一) 原告の主張
原告は、被告国の公権力の行使に当たる公務員である被告税務署長及びその所部職員が職務に関して行った前記2(一)(1)ないし(7)の各違法行為によって、多大の精神的苦痛を受けるとともに、原告の財産権及び納税者としての権利を守るために本件訴訟の提起及び追行を原告代理人らに依頼することを余儀なくされた。原告の右精神的苦痛を慰謝するには少なくとも金二〇万円が必要であり、また、原告は原告代理人らに対し訴訟委任契約に基づく着手金として金三〇万円を支払った。
よって、原告は、被告国に対し、国家賠償法一条一項に基づき、損害賠償金五〇万円及び最後の不法行為である本件各課税処分がされた昭和六三年二月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(二) 被告国の主張
原告の主張に対する被告国の反論は、前記2(二)(1)ないし(7)の被告税務署長の主張のとおりであり、原告の被告国に対する請求は理由がない。
第三当裁判所の判断
一 被告税務署長の本案前の申立てについて
原告は、本件係争年分の総所得金額及び納付すべき税額のうち、自己の確定申告額を超えない部分についても本件各更正の取消しを求めているが、申告納税方式の下においては原則として納税義務者の申告により納税義務が確定するので(国税通則法一六条一項一号)、他に特段の事情がない限り、修正申告又は更正の請求という手続以外の方法で申告内容と異なる主張をすることは許されないと解すべきところ、原告から右の特段の事情について主張及び立証もないから、原告が自己の確定申告額(その額が別表(一)及び(二)の各該当欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。)を超えない部分の取消を求めることは不適法である。
したがって、右の確定申告額を超えない部分に係る訴えについては、主文第一項のとおり却下を免れない。
二 税務調査の適法性及び推計課税の必要性について
1 証拠(甲第一四、第一五号証、第二三九ないし第二四五号証、第二四七号証、第二四八号証の一、二、第二四九号証、第二五〇号証の一、二、第二五一ないし第二五四号証、乙第二一号証、第二九ないし第三五号証、第四四、第四五号証、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によると、以下の各事実が認められる。
(一) 被告税務署長は、洗馬地区の農業所得者から提出された昭和六〇年分の確定申告書について検討した際、その前年に比して野菜の出荷金額が著しく高騰していたにもかかわらず、全般的に申告所得金額が過少であると考えられたことから、昭和六一年六月から七月にかけてレタス、白菜、キャベツ等を栽培する二十数名の農業所得者を調査したところ、その全員について農作物の収入金額を過少に申告しているものと認められたため、この種農業所得者について類型的な非違が存する蓋然性があるものと判断し、これを是正するための一種の行政指導として「業種別指導」を行うこととし、所得税第一部門の島嵜統括官にこれを指示し、同統括官の命を受けた掛川係官らがその事務を担当した。
(二) 「業種別指導」とは、ある特定の業種に属する納税者の確定申告に共通する所得金額計算上の誤りがあると判断される場合に、その見直しを求め、申告が過少であるときには必要に応じて修正申告を慫慂し、更に翌年以降も同様の誤りがないように行政指導することを目的として行われるものであるが、被告税務署長は、住民税を所管する塩尻市と共同で、同年八月二八日に七か所の会場において集団説明会を開いた後、同年九月四日から一一日にかけて塩尻市市民会館において個別説明会を開催した。
(三) ところで、被告税務署長は、右集団説明会に先立ち、同年八月二四日付けで洗馬地区の約五五〇名の農業所得者に対し、「昭和六〇年分の農業所得について検討したところその収入金額等に誤りが見受けられ見直しをしていただく必要があると認められます。つきましては、その見直し方法等について説明会を下記により開催いたしますので、御出席くださいますようお願いします。」と記載した本件通知書を郵送した。また、掛川係官らの担当者は、個別説明会に際しても、事前に右農業所得者に対し、収入金等報告書と所得税の確定申告についてお尋ねしたいことがある旨記載した葉書を郵送して出席を求めた。その結果、右対象者のうち約五一〇名が集合説明会に出席し、約七割が個別説明会において修正申告書を提出した。
(四) 原告は右の各説明会に出席したものの、個別説明会に農業所得に関する資料等を持参しなかったことから、その確認を受ける機会がなかった上、更に二回にわたって葉書等により松本税務署への出頭を求められたのに、これに応ぜず、修正申告書を提出することもなかったため、被告税務署長の命を受けた島嵜統括官は、掛川係官に対し、昭和六一年一二月ころ、原告の昭和六〇年分の所得税調査を命じたが、原告から提出された昭和六一年分の確定申告書についてもその所得金額を確認する必要があると判断されたことから、昭和六二年四月ころ、その調査をも命じた。
(五) 掛川係官は、昭和六一年一二月一六日、調査のため他の税務職員一名とともに原告方に赴き、原告に対し、関係書類を持参して来署し、所得の見直しを済ませてもらいたい旨述べ、協力を得られないのであればやむを得ず税務署独自の調査をすることがある旨告げて、退去した。
(六) 掛川係官ほか一名は、翌六二年二月一〇日にも原告方に臨宅調査をしたが、原告は不在で、その妻に対し、調査への協力を要請する旨の伝言を依頼したものの、原告からの応答はなかった。
(七) その後、同年三月、原告を含む七名の洗馬地区の農業所得者から委任を受けた毛利弁護士から被告税務署長あてに臨宅調査に応ずる意思があるので同弁護士が立会いのできる日時を調査期日に指定してもらいたい旨、農協などの取引先に反面調査をすることを厳禁する旨記載した通知書が送付されたことから、掛川係官らは、同弁護士と日程の調整を図った上、原告に対してはいったん同年六月八日に臨宅調査を行うことになったものの、その後、同年八月二八日に調査期日が変更された。
その間、同年六月一六日、松本税務署において島嵜統括官及び掛川係官と毛利弁護士及び右農業所得者らとの間で話合いの機会が持たれたが、その席上、掛川係官は、原告に対し、本件係争年分の調査の対象とする旨を告げた。なお、本件通知書や葉書による説明会への出席要求の件が話題となった際、島嵜統括官は、その文面に問題はないとか、出席要求は所得税法二三四条一項により税務職員に与えられた質問検査権の行使であると理解しているかのごとき発言をすることもあった。
(八) 掛川係官は、同年八月二八日午後一時ころ、他の税務職員一名とともに原告方を訪れ、居室内に招き入れられたところ、毛利弁護士のみならず、他の調査には直接関係がないと思われる者(以下「立会人」という。)一名が同室し、そのほかにも襖で隔てただけの隣室に数名の者がおり、しかも、原告が調査の模様を録音するためにテープレコーダーを作動させたことから、テープ録音を中止し、立会人を退席させるように再三にわたって要請したが、原告及びその委任を受けて立ち会っていた毛利弁護士がこれを受け入れなかったため、実質的な調査に入ることなく原告方から引き上げた。なお、その際、毛利弁護士が委任を受けた農業所得者らの収支明細を見てもらう旨述べたものの、掛川係官が当日の調査対象者である原告以外の者の帳簿類をその場で見ることに難色を示した上、テープ録音の是非についてやりとりに終始したことから、その内容を確認するに至らなかった。
このころ、毛利弁護士が委任を受けた他の納税者についても臨宅調査が行われ、同年六月八日の寺沢武人方、同年七月六日の高橋一男方、同月一七日の成田千寿子方、同月三一日の続木満弘方においても、第三者による立会い及びテープ録音が問題となり、掛川係官らは、その度に調査を中途で打ち切って引き上げるという事態になった。
その後、同年八月四日付けで毛利弁護士から被告税務署長宛てに第二回目の臨宅調査の日時を連絡してきたものの、島嵜統括官の後任者の臼井統括官が同弁護士と連絡を取り、テープ録音や第三者の立会いを止めるように申し入れたところ、同弁護士からこれに協力する旨の返答は得られなかった。
(九) その間、被告税務署長は、洗馬農協に対し、昭和六一年一一月ころ、組合員である農業所得者の売上げ等を把握するために必要な同農協における出入金の仕組みについて確認するとともに、協力を依頼するための調査を行い、更に翌年八、九月ころ、原告の収入金額等を捕捉するための調査を行った。
(一〇) 被告税務署長は、右のような経過から調査に対する原告の協力を得ることは困難であると判断し、反面調査等によって得られた資料に基づき本件標準を適用して本件係争年分の原告の所得を推計によって算出し、同年一〇月一三日、臼井統括官をして原告及び毛利弁護士に対し、右推計による所得金額を示し、修正申告を慫慂したものの、原告がこれに応じなかったことから、昭和六三年二月八日、本件各課税処分をした。
2 そこで、前判示の各事実に基づき原告の主張する調査手続の違法性について検討する。
(一) 原告は、本件通知書及び葉書による集団説明会及び個別説明会への出席要求並びに葉書等による税務署への出頭要求が税務運営方針に反する旨主張する。
しかしながら、証拠(甲第三号証)及び弁論の全趣旨によれば、税務運営方針は、昭和五一年四月一日に国税庁が申告納税制度の下における税務行政の円滑な運営のための基本的な方針として税務職員に対して職務遂行上遵守すべき事項を示した内部的な指示であると認められ、したがって、法規たる性質を有するものではないから、これに違反した場合に当・不当の問題が生ずることはあっても、これから直ちに職務行為として違法との評価を受けるものではないというべきである。そして、税務署長が適正な課税の実現のために行う調査については、その権限を有する税務職員において、当該調査の目的、そのために収集すべき資料の種類及び内容、相手方の対応等の諸事情に照らし、客観的に必要性があると判断される場合に行うことができるのであり、その具体的な方法も、所得税法二三四条自体は、一定の者に質問し、帳簿書類その他の物件を検査することができるとするだけで、これを実施するための細目までを定めているわけではないから、質問検査の範囲、程度、時期、場所等については、このような職権調査が認められた趣旨にかんがみ、右の質問検査を行う必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との比較衡量において社会通念上相当と認められる限り、権限のある税務職員の合理的な選択に委ねられていると解される。
(二) そこで、右の見地から原告の主張する諸点について検討するに、まず、原告は、本件通知書が過少申告であることを断定するような文面であること、島嵜統括官においてこれが何らの問題もない旨発言したことを指摘する。確かに、被告税務署長は、本件通知書を発するに先立ち、対象者の全員について調査をして過少申告であったことを把握していたわけではないから、本件通知書を受け取った者の収入金額に誤りが見受けられるかのような文面により集合説明会への出席を求めたことは妥当とはいい難い。しかしながら、同被告においてこのような業種別指導を行うことを企図した理由は前判示のとおりであって、予備的な調査においても対象とした二十数名の農業所得者のすべてが過少申告であることが判明し、かつ、指導に従って対象者の約七割が修正申告書を提出したのであるから、この種農業所得者について類型的な非違が存する蓋然性があるものと判断したことは必ずしも不当ではない。本件通知書は、出席要求の効果を図るあまり不適当な文言が用いられているけれども、右の事情に照らせば、社会通念上看過し得ないほど納税者に対し心理的な圧迫を加えているものということはできないのであって、この種の文書に前判示のような文面を用いることが違法であるとすることはできないし、この点に関する島嵜統括官の発言についても、これを違法とするまでのことはない。
(三) 次に、原告は、説明会への出席及び修正申告に応じなかった者に対する松本税務署への葉書等による出頭要求を問題にするが、野菜栽培を主とする農業所得者に累計的な所得計算の誤りが存する蓋然性があること及びそのように判断することが不当ではないことは前判示のとおりであるから、適正かつ公平な課税を実現するために、個別説明会への出席を求め、これに応じなかった者を放置することなく、申告内容についての説明を求めることは必要なことであり、そのために税務署等への出頭を求めることも強制にわたらない限り許されると解される。そして、本件全証拠によっても被告税務署長ないし担当者の行った出頭要求が心理的又は肉体的な強制を伴うものであると認めることはできない。もっとも、このような手続は、原告らにとって煩わしく、心理的な負担を感じるであろうことは否定できないと思われるが、前判示の必要性にかんがみれば、社会通念上相当な範囲にとどまるものとみるべきである。
(四) また、原告は、島嵜統括官が原告らとの話合いの場で右の出頭要求は税務職員の質問検査権の行使である旨の発言をしたことなどを違法事由として取り上げる。確かに島嵜統括官が右のような発言をしたこと自体は前判示のとおり認められるのであるが、そもそも説明会自体は納税者に対する行政指導を行うことを目的とするものであって、事後的な担当者の言辞によりその性質が変わるものではないばかりでなく、右の会話の模様を録音したテープの反訳書である甲第三二号証の一によれば、むしろ原告ら及びその委任を受けて被告税務署長との交渉に当たっていた毛利弁護士が島嵜統括官の右発言を捉えて、種々非難している状況が窺われ、少なくとも原告が右発言によって畏怖感を覚えたり、脅されたように受け止めたと認めることは困難である。
(五) さらに、原告は、被告税務署長の行った洗馬農協に対する反面調査が違法であると主張する。しかし、所得税法二三四条一項三号所定のいわゆる反面調査については、同項一号所定の納税者等に対する調査の補充規定であると解する根拠はなく、したがって、後者の調査を実施した後でなければ行うことができないとか、客観的にみてやむを得ない場合にのみ実施することができるというように限定的に解さなければならないものではない。反面調査をどのような時期にどのような方法で行うかについては、法自体には規定はないのであるから、社会通念上不相当でない限り、税務職員の裁量的な判断でこれを行うことができると解される。そして、本件全証拠によっても、洗馬農協に対する調査が強引に行われたことを認めることはできず、他にこの反面調査が社会通念上不相当な方法で実施されたと認めるべき事情も存しない。
(六) 被告税務署長が原告に対する報復的ないし差別的な意図をもって昭和六一年分についても調査の対象に加えたことを認めるに足りる証拠はない。
(七) 原告は、臨宅調査においてテープ録音されていることを調査中止の理由とすることはできない旨主張するが、守秘義務を課せられている税務職員において、調査の模様が録音テープに記録され、これが他に流布されることを慮ってその中止を求め、録音を止めない限り調査を行うことは相当でないと判断することはその職責上をもっともなことであると解される。原告は、守秘義務を負う弁護士が立ち会い、訴訟における証拠として用いることのみを目的として録音するのは正当であり、そのことは掛川係官にも告げていた旨主張するけれども、公開の法廷で審理される民事訴訟において証拠として用いられる場合には、取引先等の第三者の秘匿すべき事項が公になる可能性があるから、税務職員が調査の結果としてこのような第三者の利益を害することを避けるため録音を拒否することもまたやむを得ないものと考えられる。また、毛利弁護士に委任していた原告以外の各農業所得者についても、その臨宅調査において、右と同様の問題から紛議が生じ、掛川係官らが調査の目的を遂げないまま引き上げるという事態に至った経緯は前判示のとおりである。そして、原告方における調査において、毛利弁護士から、他の納税者のものも含めて帳簿書類を見せるかのごとき発言があったことは前判示のとおりであるが、テープ録音や第三者の立会いをめぐって応酬している中でその内容を確認できるような状況になかったことは明かである。なお、その他、調査の過程で原告の帳簿書類がその内容を確認できるような態様で示されたことを認めるに足りる証拠はない。
以上のような本件における調査の推移にかんがみると、原告らがテープ録音や第三者の立会いの要求を撤回して調査に協力することは期待し得なかったと考えられるから、被告税務署長において一回の臨宅調査の後、独自の調査を続行して本件各課税処分に至ったことはやむを得ないものというべきである。
(八) 以上によれば、本件調査の手続に原告主張の違法はない。
3 原告は、本人尋問において、農業所得について継続的に帳簿に記帳していたわけではないことを認める旨述べており、本件訴訟においても、昭和六〇年分については不完全ながら家計簿を証拠として提出しているものの、昭和六一年分については、収支その当時において記帳していたものを何ら提出していない。したがって、原告方における臨宅調査において提示しようとした帳簿についても、それがどのようなものであったか、不明というほかなく、むしろその当時においても、原告の所得の実額を把握できるような帳簿は存在しなかったと推認される。これに前判示の調査の経緯、殊にテープ録音と第三者の立会いに固執して調査に協力するという姿勢が見られず、内容を確認し得るような状況の下で帳簿類が提示されたこともなかったことを併せ考慮すれば、被告税務署長が原告の農業所得について実額で把握することを断念し、推計の方法で算出したことはやむを得ないものというべきであり、したがって、本件において推計の必要性はこれを肯認することができる。
三 推計の合理性について
1 被告税務署長が原告の農業所得を推計するために用いる農業所得標準の概要は前判示第二の二3のとおりであるが、同項掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件係争年当時の農業所得標準の具体的作成経緯は次のとおりであると認められる。
(一) 松本地区協議会は、県協議会が四月開催の委員会・幹事会において決定した農業所得標準作成の基本方針を受けて、同地区協議会の幹事会において事業計画や調査方針を決定し、五月ころから各種調査及び資料収集を行うとともに、六月に開催した幹事・事務担当者会議において専門部会(標準の対象種目ごとに二ないし一四の市町村によって構成)の市町村別の分担及び標準作成のための具体的方針(基準実額調査の件数、調査項目及び調査書の様式等)を決定し、その後一二月までの間に部会統括(幹事)市町村が実地調査を行った。そのうち、基準実額調査は、対象農産物生産農家の中から数戸(概ね五、六戸)を抽出し、それらの生産農家の協力を得て、あらかじめ調査書を交付して必要事項を記載してもらい、生産農家が保有する出荷伝票、仕切書、領収書、記帳メモ及び預金通帳等に基づいて、一〇アール当たりの収穫量、収入金額、必要経費額等を調査するものであり、このほかには、普通畑及び総合野菜畑の標準を作成するために担当者らが特定の畑作地域に数回赴いて時期別に作付けされている作物ごとの面積及び作物名等を調査する作付状況調査や、水稲の収穫量を検討するために事前に依頼しておいた農家の水田の一定範囲の稲を刈り取って収穫量を調査する坪刈調査、検見調査等を行った。また、農協からは、当該農産物の販売状況、農薬、肥料、種子及び生産資材等の価格を、加工受託会社からは、農協別の作付面積、当該農作物の出荷量、販売状況及び生産資材等の価格を、長野県経済農業協同組合連合会からは、支所別年次実績表(支所別及び年次別の面積と数量の表)等をそれぞれ調査して必要資料等を収集した。
(二) 松本地区協議会においては、右のような実地調査の結果を踏まえ、更に農協等から調査結果についての意見聴取を行った上、各種統計資料等をも参酌して、調査の対象とした生産農家の平均的な収入金額(一〇アール当たりの収穫量×単価)、必要経費額(租税公課、種苗費、肥料費、大農具費、農具費、償却費、農薬費、その他)及び所得金額(収入金額-必要経費)を求め、また、収入金額に占める所得金額の割合(所得率)を計算し、この所得率を前年の所得率と比較し、ほぼ同率であれば、原則として、前年の仮定所得率及び一定経費の額と同じ経費数値を当該年度の原案とするが、前年と異なる所得率になった場合には、収入金額・必要経費額の各個別の数値を前年の数値と比較検討するとともに、収集した資料を基に、所得率が異なる事情を調査し、当該年度の調査対象生産農家の平均所得金額にできるだけ合致するように仮定所得率及び一定経費の額を算定するなどして、部会統括(幹事)市町村が原案を作成し、専門部会を構成する市町村が持ち寄った調査事績等の資料と突き合わせ、対処作物の一〇アール当たりの収入金額、必要経費額、差引所得金額及び所得率等を検討・協議して素案を作成し、一二月に同地区協議会の農業所得標準(案)として県協議会に報告した。
(三) 県協議会は、各地区協議会の農業所得標準(案)の提出を受け、その数値(仮定所得率や一〇アール当たりの一定経費等)について各地域間の調整・均衡を図った上、翌一月に農協中央会等から意見を聴取し、修正を加えて農業所得標準を作成し、二月上旬の委員会においてこれを審議して決定した。
(四) 松本地区協議会は、右の決定を受けて、総会を開催し、最終的に本件標準(乙第一、第二号証)を決定した。
(五) 塩尻市は、本件係争年当時、レタス及びパセリの各専門部会において、幹事として原案・素案の作成及び取りまとめ(統括)を分担していたが、このレタス及びパセリについての基準実額調査の具体的な実施方法は、次のとおりであった。まず、地区別に綴られている農業所得者台帳を基に、これらの作物を栽培している農家の中から、青色申告者及び収支計算を行っている者で帳簿書類の作成や保存が確実であると思われる者を抽出し、その中から、特殊な経営方法を彩っている者とか、経営規模が極端に大規模又は小規模である者とか、災害その他特殊事情がある者を除いた上、作付面積が平均的であると思われる者を五、六戸程度選定した(収入や経費を前年分と対比して検討するため、調査対象者には、二年から三年継続して協力を要請した。)。調査の方法は、一一月初旬ころに担当者らが調査対象者宅へ赴き、帳簿や資料を確認し、必要事項を聞き取るというものであり、調査の内容は、当該農家で作っている作物ごとの作付面積、収入金額及び必要経費、建物・農機具・自動車等の所有及び使用状況、作柄及び災害等の特殊事情、家族の状況等、標準を作成するために必要な事績全般にわたるものであった。
(六) 農業所得標準において収入金課税方式を採用する場合、収入金額に比例する比例経費と作付面積等に比例する一定経費に区分して算出所得金額を求めることとされていたが、その区分は必ずしも明確ではなく、農業所得者が現実に支出した経費を両者に分けて調査することは容易でないことから、ある農作物について初めて収入金課税方式に移行する地区協議会が行った基準実額調査事績により得られた統計的標本における経費と収入の実測値に基づき、最小二乗法という統計的手法を用いてこれを区分した上、県協議会や地区協議会において、他の農産物の所得標準との権衡を図り、農業団体から意見等を踏まえて更に検討を加えるなどして、最終的に比例経費率(仮定所得率)と一定経費額が確定されることとされていた。松本地区協議会においては、レタス等の高原野菜について昭和六〇年分の農業所得標準から収入金課税方式に移行したが、その際の統計的な処理としては、同地区協議会に先立ってこれらの農作物について収入金課税方式に移行していた佐久地区協議会の作成に係る昭和五九年分や昭和六〇年分の農業所得標準における比例経費と一定経費の区分を参考に用い、農業団体の意見を聴取するなどして修正した上でこれらの数値を確定した。
(七) 本件標準において、総合野菜畑は、収益性の比較的高いホウレンソウ、ナス、サヤインゲン、スイートコーン、ネギ、大根、ごぼう、里芋、かぶ、カリフラワー及びブロッコリー等の作物を生産する畑とされており、その対象作物は三〇ないし五〇品目に及び、前記の基準実額調査事績等の調査結果により得られた作付けの回転率と単価により平均的な単価を求め、これに基づき一〇アール当たりの所得金額を定めた。
(八) なお、松本税務署管内においては、所得税の確定申告をした農業所得者の九割以上、住民税の申告をした者のほとんどが本件標準を利用していた。
2 ところで、所得税の課税標準である所得金額の認定は、帳簿書類等の直接的な資材に基づいて行うことが原則であるが、納税者が帳簿書類の備付けをしておらず、あるいは税務調査に際しこれらの提示を拒むなどして、右直接資料の調査ができない場合等において、税務署長が課税を放棄することは、正しい申告をしている誠実な納税者と比較して租税負担の公平の見地から許されるべきではなく、間接的な資料により把握された一定の基礎数値に基づいて推計の方法により課税することが必要とされることになる。所得税一五六条は、このような立場から納税者の「財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模により」推計の方法により課税処分をすることができるものと定めているところ、右のような推計課税の認められる根拠に照らして考察すれば、推計の方法として要求される合理性の程度としては、実際の所得に一致する必要はなく、当該事案における具体的な状況の下において税務署長が入手し得る推計の基礎事実及び資料等を前提として、当該納税者の実際の所得に近似した数値を算出する上で一応最良の方法と認められるもので足りると解すべきである。
これを本件についてみるに、農業所得者に関しては、前判示のとおり、収支実額計算の方法で所得を算出することができない納税者が確定申告に用いるために、従前から課税庁の側で農業所得標準を作成し、これを公開することによって、大多数の者がこれに準拠した納税をしてきたという経緯があり、しかも、これを作成する機関としては各市町村及び県が所轄税務署の関与の下に農業所得標準協議会及びその連合会を設立し、毎年、各種調査、統計資料の及び情報の入手、関係農業団体等からの意見聴取等を行って農業経営の実態と乖離しないように配慮しながらその運用に当たり、課税実務においても、実額計算による申告に準ずるものとされ、課税基本に誤りがない限り更正しない取扱いを受けてきたのであるから、内容が不合理なものでない限り更正に際し推計の方法としてこれを利用することも許されるものというべきである。
そして、農業所得標準の内容についてみると、算出所得金額の主たる算定方法である収入金課税法式については効率法、面積課税方式については比率法というように一般的に用いられている推計方法を応用し、しかも、前者においては、農作物を生産するために支出する経費のうち標準内経費を収入金額に比例する比例経費と作付面積等に比例する一定経費に区分して計算することにより農家の実態に即した計算方法になるという考え方に基づき、かつ、基準実額調査事績により得られた統計的標本における経費と収入の実測値から適切な一定経費と比例経費率を求めるために各標本における実測値との誤差の二乗の総和が最小となる最小二重法という統計的手法を用いるなどして適切な所得の算出に務め、後者においては、水稲及び普通畑に等級区分を設けて農地の地力の差異にも配慮している。このような課税方式を対象作物の特性に応じて選択して適用するほか、最近においてはレタス等についての収入金課税方式への移行のようにより適切な方式の採用に務めている。その上、経費の処理についても、前記の標準内経費に加え、農家間において差が著しいとみられるものについては標準外経費として別途実額により控除できる方途を講じており、統計に基づく一律の取扱いばかりでない。
右に検討した諸点に照らして考察すれば、本件標準は、帳簿書類等により実額で趣旨を把握し得ない原告についてその実際の所得に近似した数値を算出する上で一応最良の方法といって差し支えないものということができる。
なお、原告は、松本地区協議会における基準実額調査の対象農家が五、六戸では少なく、農業経営の実態や各経費の個性差を把握することはできない旨主張する。確かに、統計的な処理の面からみれば、調査対象戸数が多ければ多いに越したことはないが、調査の正確性とそれに要する負担を考慮すれば、自ずから限界があるとは否定できないのであって、前判示のとおり、青色申告者及び収支計算を行っている者であって、帳簿書類の作成や保存が確実であると思われる者の中から特殊な事情の存する者を除いた上、作付面積が平均的であると思われる者を選定しており、これによって調査対象者の個性が捨象され、五、六戸程度であってもその平均値を求めるのに格別支障が生ずるものと考えられない。そして、前掲各証拠によれば、農業経営の実際においては、農業技術者連絡協議会等が作成した栽培指針と呼ばれるマニュアルに準拠し、かつ、農協等の指導を得ながら、農作物を栽培しているという実情にあり、そのため作物が同一であれば各農家の投ずる経費の率はさほど違わないという傾向があると認められるのであって、平均的な農家を対象として調査する限りにおいては対象戸数の多募により有意な差異が生ずるものではない。さらに、原告は、パセリの一定経費額が昭和六〇年分と六一年分とで大きな違いがあることを問題点として指摘する。確かに一定経費額は、その性質上各年ごとの調査や統計資料の検討だけではその数値に大きな違いが生ずることは考えがたいが、他の農作物との比較や関係各農業団体から意見聴取といった調整的な要素を加味すれば、前年分の数値を改正する必要が生ずることもあり得るし、特に収入金課税方式に移行した当初の段階においてはその余地が大きいと考えられるから、ただ単に経費額が改定されたといいうだけで本件標準の合理性が否定されるものではない。
また、原告は、スイートコーンは、総合野菜畑の対象となる作物の中では著しく収益性が低く、これに他の作物と同一の標準表を適用することは妥当でない旨主張する。確かに弁論の全趣旨によれば、総合野菜畑の対象作物の中ではスイートコーンの収益性が必ずしも高くないことが窺われるけれども、各作物ごとにそれぞれ別個の標準表を作成することはおよそ不可能であって、幾つかの作物を総合して標準を作成すること自体は避けられないのであり、要はどこまで個別化するかという点にあるが、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、スイートコーンは他の普通畑の対象作物よりは相対的に収益性が高いものと認めることができ、これを総合野菜畑に分類したことが合理性を欠くとまではいうことはできない。なお、原告は、本件標準の適用により推計して得られた算出所得金額が原告口座への販売代金の入金よりも多いことを問題にするが、被告税務署長は洗馬農協への反面調査の結果判明した販売代金がスイートコーンの収入のすべてであると主張しているわけではなく、いわゆる系統外出荷と称するものについては不明であり、かつ、後に判示するとおり原告においては自家消費分や他への贈与分は把握されていないから、右の金額の違いをもって合理性を否定することはできない。
その他、原告の指摘する諸点を考慮しても、本件標準が不合理であるとするに足りる事情は見当たらない。
3 続いて、本件標準を適用する際の各数値の合理性について検討する。
(一) 被告税務署長の主張に対し別表(一五)及び(一六)記載の各数値以外の点は当事者間に争いがない。また、本件標準自体に不合理な点が存しないことは前判示のとおりであるので、原告が争う各数値のうち、総合野菜畑の一〇アール当たりの所得金額並びにレタス等の仮定所得率及び一〇アール当たりの一定経費額については本件標準所定の数値を適用すべきこととなる。
(二) 証拠(乙第九号証の一ないし四、第一二号証、第一八号証、第二〇号証、第二九ないし第三五号証)及び弁論の全趣旨によると、補給金は、野菜生産出荷安定法に基づき、野菜の価格が一定水準を下回った場合に、生産農家の経営安定のため生産者団体の負担金並びに国及び県の補助金を原資として生産農家に交付されるものであること、原告に対しては別表(二)及び(一二)の補給金襴記載のとおり振込入金されたこと、右入金は支払うべき金額が確定して支給決定がされた日に振り込まれることとされていること、以上の各事実が認められる。
原告は、昭和五九年及び六〇年産野菜に関する補給金は振込入金の時期にかかわらず、それぞれの収穫年度の収入に計上すべきである旨主張する。しかしながら、収入がどの年分に帰属するものとして計上するかは、当該の収入が確定した時期を基準として判断すべきものであり、補給金についても別異に解すべき理由はないところ、前判示のとおり補給金の金額は支給決定によって確定するのであるから、被告税務署長主張のとおり原告口座に振込入金された時期を基準として、それぞれ昭和六〇年分及び六一年分に帰属するものと解すべきである。原告は、所得税法三六条一項及び四一条の趣旨に照らし、かつ、農業災害補償法による果樹共済金の取扱いとの均衡上、販売した年分の収入として計上すべきであると主張するが、補給金は収穫した農産物の対価ないしその収穫量の減少の補てんとして支給を受けるわけではないから、原告が主張するように所得税法の各規定を解釈したり、収穫時を基準として収入に計上することは困難である。
そうすると、原告において補給金が収入として帰属する年分の相異を理由として収入金額を争う昭和六〇年分のレタス春・レタス秋・白菜秋・キャベツ春・キャベツ秋・パセリ及び昭和六一年分のレタス春・レタス秋・白菜秋・キャベツ春・キャベツ秋・パセリ・短根人参に関する原告の主張を採用することはできない。
(三) 証拠(乙第一五号証の一、二、第三九号証、第四三号証)及び弁論の全趣旨によれば、被告税務署長は、レタス等に係る算出所得金額を計算するのに控除すべき出荷経費を求めるに際し、本件係争年分の同業者の平均的な出荷経費率に基づいて算定する方法を採り、この同業者率を算出するために、原告の納税地を所轄する松本税務署管内の洗馬地区において、原告と同様に野菜等の生産をする個人について、本件係争年分ごとに前判示第二の四4(一)(2)ウ掲記のⅰないしⅵの基準のいずれにも該当する者のすべてを抽出したこと、その方法は、関東信越国税局長が平成三年一一月一三日付けで同被告に宛てて発した「訴訟事件に関する資料の報告について」と題する一般通達に基づき、同被告の命を受けた所部係官が所定の形式により「野菜生産農業所得者の出荷経費調査表」を作成して報告したこと、右調査表の作成に際しては、同係官が松本税務署の保管する所得調査カードの中から決算書等の内容を確認して販売金額が野菜のみである者を選択し、経費科目中の荷造運賃手数料欄に金額が記載されている者及び科目欄に出荷資材やダンボール代等として出荷経費金額が記載されている者の決算書等を選び出し、それらの者について前掲の各基準を満たすか否かを確認したこと、その結果、昭和六〇年分につき、五一名、昭和六一年分につき六七名の本件比準同業者が抽出され、その出荷経費が収入金額中に占める経費率は別表(一三)及び同(一四)のとおり得られたことがそれぞれ認められる。これによれば、比準同業者の抽出過程自体は、通達に基づいて機械的に行われており、恣意が介在する余地がないから、客観的な妥当性を有するということができる上、出荷経費の算出も合理的なものということができる。原告は右比準同業者らが必ずしも的確に出荷経費を計上しているとは限らないので、その数値には信頼性がない旨主張するけれども、証拠(乙第三九号証、第四八、第四九号証)及び弁論の全趣旨によれば、青色申告決算書(農業所得用)及び収支内訳書において「荷造運賃手数料」は「諸材料費」とは別個に計上すべき経費とされており、通常の理解において混乱が生じたり、その分類に顕著な個人差を伴う事項とは考えられないばかりでなく、農業所得者向けの一般書籍や税務署作成の冊子においては、「諸材料費」は農産物の生産に直接必要なビニール・縄・支柱等の購入費とされているのに対し、「荷造運賃手数料」は農産物の販売に要した袋・箱などの購入費や市場手数料等とされ、概念上は一応分かりやすく区別されており、右同業者らの決算書の信用性を疑うべき事情までは見当たらないから、原告の主張を採用することはできない。
(四) 原告は、昭和六〇年分の土地改良区等に支払った賦課金等の全額九万五九三二円を土地改良費として控除すべきであると主張し、証拠(甲第二二号証、第一四七ないし第一五三号証、第二三八号証の二二)によれば、右金額の支出そのものは認められるものの、その中には永久資産の取得費相当額が含まれている疑いがあり、塩尻市の農業所得者台帳(乙第一三号証の一、二)に掲記された五万円を超える控除額を認めることは困難である。
なお、その余の標準外経費についても、特殊大農具等に関する原告の主張を認めるに足りる適切な証拠はない。
(五) その他、原告の主張する諸点を参酌しても、本件標準に被告税務署長の主張する数値を適用して行う推計の方法に不合理な点は存在しない。
四 原告の実額主張について
1 原告は、昭和六〇年分における実際の所得金額は別表(一七)のとおりである旨主張し、その証拠として、領収書・明細書・納品書等の原始資料(甲第二二ないし第二〇六号証、第二〇八ないし第二三七号証、)のほか洗馬農協における原告名義の総合計画貯金通帳(甲第二二、第二三号証)、収入金及び経費の一覧表(甲第二三八号証)、農業収入・支出の集計表・明細書(甲第二五八号証)、家計簿(甲第二〇七号証)等を提出する。
2 ところで、納税者の側で収入及び経費の双方について実額を主張し、課税庁の推計の方法による所得金額の主張を覆そうとする場合の実額反証については、所得税法二七条二項が事業所得金額はその年中の総収入金額から必要経費を控除したものをもって事業所得の金額とし、同法三七条一項が売上原価その他当該収入金額を得るために直接要した費用を必要経費の額と規定しているのであるから、ただ単に収入及び経費の一部を立証すれば足りるというものではなく、原告の主張する収入金額が当該年中におけるすべての取引先から捕捉漏れのない総収入金額であることと、その主張に係る必要経費が右収入に対応するものとして実際に支出されたものであることを、合理的に疑いを入れない程度に証明しなければならないと解される。
3 そこで、右の見地から検討するに、前掲の甲第二三八号証及び第二五八号証は、いずれも収支が分けて記載されているものの、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、収入及び支出が発生した都度、継続的に記帳してきたものではないと認められる。農業経営に関する収支が誤りなく正確に記帳されていると認められるためには、収入及び支出が発生する度に個別・具体的に記帳し、それが連続していて、記載漏れのないことが確認できることが必要であると考えられるところ、それらの体栽及び記載様式に照らせば、これが原告の農業所得に係る一切の収入及び経費のすべてについてその当時において継続的に記帳したものでないことは明かであり、これをそのまま実額証拠として用いることはできない。また、甲第二〇七号証の家計簿は、その記載様式に照らしても、経費が誤りなく記載されたものであるかどうか疑問なしとしない。したがって、本件においては原告の所得の実額を把握できる帳簿は存在しないといわざるを得ない。したがって、これらの各資料と前記の領収書類及び貯金通帳等を照合しても、昭和六〇年分の農業所得に係る収入のすべてが捕捉できるものではない上、そ個別の支出と収入との対応関係を確認することもできない。
また、所得税法三九条及び四〇条により総収入金額に算入される自家消費分や贈与分については、前掲の各資料には記帳されておらず、この面からみても、右資料に掲記の収入金額が同年分の収入のすべてでないことは明らかである。
さらに必要経費の面からみても、同法四五条一項一号及び同法施行令九六条一号により経費への算入の可否が問題とされる家事関連費については、農業所得を生ずる事業の遂行上必要な部分を特定するに足りる証拠が存せず、これらを原告の主張するとおり経費に算入すべきものとすることは困難である。
4 以上によれば、原告が主張する各経費のうちには原告が農業所得を生ずるために支出した費用が含まれているとしても、これをもって被告税務署長が主張する推計課税の方法による農業所得金額の算出に関する反証とはなり得ないものというべきである。
五 本件各課税処分の適法性について
1 以上に判示した諸点に基づき原告の総所得金額を計算すると、昭和六〇年分は四四〇万一五一九円、昭和六一年分は二七三万〇八四五円であり、いずれも本件各更正における総所得金額を上回るから、本件各更正は適法である。
2 したがって、右の所得金額に基づいて計算した過少申告加算税額もまた本件賦課決定を下回るものでないことは明らかであるから、右各決定は適法である。
六 被告国の損害賠償責任について
1 原告が被告国の公権力の行使に当たる公務員の不法行為として主張する事由のうち税務調査に関しては、六点のいずれについても手続上違法な行為が行われたと認めることができないことは前判示二1及び2のとおりである。
2 また、本件各更正につき推計課税の必要性を肯認することができることは前判示二3のとおりである上、推計の方法として用いた本件標準が合理性を有するものであることは前判示三のとおりであり、右更正に係る原告の本件係争年分の総所得金額は本件訴訟において立証された前判示五の総所得金額の範囲内であるから、その余の点について判断するまでもなく、本件課税処分が違法であるとすることはできない。
七 結論
以上の次第で、原告の被告税務署長に対する訴えのうち主文第一項の1及び2の各請求に係る部分は不適法であるからこれを却下し、原告の同被告に対するその余の請求及び被告国に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結の日 平成一〇年一二月一八日)
(裁判官 針塚遵 裁判官 廣澤諭 裁判長裁判官齋藤隆は転補のため署名押印することができない。裁判官 針塚遵)
別表(一)
昭和六〇年分
<省略>
別表(二)
昭和六一年分
<省略>
別表(三)
昭和六〇年分
<省略>
別表(四)
昭和六一年分
<省略>
別表(五)
<省略>
別表(六)
一 昭和六〇年分
<省略>
二 昭和六一年分
<省略>
別表(七)
(60年分)
<省略>
別表(八)
(61年分)
<省略>
別表(九)の一
昭和60年農作物作付調書
<省略>
別表(九)の二(60年分)
<省略>
別表(一〇)の一
昭和61年農作物作付調書
<省略>
別表(一〇)の二(61年分)
<省略>
別表(一一)(六〇年分)
<省略>
<省略>
別表(一二)(六一年分)
<省略>
<省略>
別表(一三)
昭和六〇年分の出荷経費率の算出に係る同業者調査表
<省略>
別表(一四)
昭和六一年分の出荷経費率の算出に係る同業者調査表
<省略>
別表(一五)
昭和60年分
<省略>
別表(一六)
昭和61年分
<省略>
別表(一七)
昭和60年分
収入金額
<省略>
必要経費
<省略>